音楽ってのは
音楽ってのは実はエリートしか聴いていないのではないか。
Youtubeやテレビとかでなんとなく聴く層は50%くらいありそうだが、課金する層は20%くらい、ちゃんと聴く層は1%くらいで、その0.1%くらいが楽器を弾くのが体感なのだが。
よくロックが商業化されたやの嘆いていたミュージシャンがいたと思うのだが、まぁそれはエリートたちが資本主義社会の中で聴いているのだがそうなるのは自然な流れなのではと思う。
カートコバーンが着ていた服は至って普通の安いやつだったらしいがNirvanaが売れてから今まで100円くらいのただの布切れが5万円とかで買われるようになったらしい。
確かに商業化してるが、布切れに5万円も出せる時点でエリートが多いのではないかと思う。
急にファッションってのは服着てる時点でだいぶダサい気がして来た。
だって努力せずにお金を払って高価な服を買うだけでセンスありそうな人と同じになれるもの。
まぁ実際はそんなにうまくはいかないのだが。
高価な服を買っても綺麗にはならないのは世の常なので多少の努力は必要だったりする。
それでもなんだろうな、筋トレや勉強と比較すると弱い気がする。
服を作っているのならわかるのだが、着るだけだからね。
だから本来は自分の想像でめっちゃ良い服があったらその服をちゃんと言語化して買いに行けば意外と良い感じになれるのではなかろうか。
そしたら服のセンスじゃなくてもっと根源的なセンスが必要になりそうだ。
そもそもお金を払って得られるものが対して価値が無いものが多いような気がして来た。いやみんなは価値があると思うからお金を払っているから矛盾が生じている。
本当に価値があるものってのはなんだかこの世に一つしかないものだと思っている。
そうだとしたらやっぱり工場で作らられているものを並べているだけの空間はダサいよね。
何かしら自分で作って生産しなければダサい。
良い服を着ていても何もしてなければダサいし、貧相な服を着ていてもギターが弾ければかっこいいのだ。
別にギターじゃなくても良い。
その人だけの特別な技能だと思わせるものがあるとかっこいいだろう。
勉強ができるとか筋トレが続いているとかギターが弾けるとかゲームが上手だとかプログラミングができるだとか、長く続けることで得られる能力を持っているとかっこいいよね。
本当は長時間の修行の上で得られるものってたくさんあると思うんだけど認知されていないものも沢山ある。
そういったものはまず長い間続けていた成果として今があるんですって説明しなければならない。
そうなると伝わりやすいように言語を工夫することになる。
全ての芸術家には高い言語能力が求められる。